昭和56年2月9日 朝の御理解                  【 末永信太郎 】

第85節 女の身の上、月役、妊娠、つわりに、腹痛まず、腹帯をせずして、産前、身軽     く、隣知らずの安産。産後、よかり物、団子汁をせず、生まれた子に五香いら     ず、母の乳をすぐ飲ませ、頭痛、血の道、虫気なし。不浄、毒断ちなし。平日     のとおり。


 どんなに医学が進歩しても、科学の世界と言われるような時代になっても、天地金乃神様の、言うならばお働き。それを、私どもは、その医学、科学を超えたもの。いわゆる、超医学であり、超科学でありという風に、合楽では表現致しますですね。そういうおかげに触れられる信心を頂き、そういうおかげにも、また、合わせて頂きたいと思うのです。
 いわゆる、お徳の世界です。そういうお徳の世界にも住みたいと念願して、信心を進め、また、教祖金光大神がこのように御出現になったというのも、そういうおかげを、氏子受けてくれよ、いや、氏子に受けさせようとなさる天地の働きであるという風に思います。ビリグイの君子先生が、この度、出産のおかげを頂いたと。もう、それこそ離れ業的な。いわゆる、普通、人間技では出けない、分からない世界を体験したと思うんです。ね。
 いつも、安産のおかげを頂きますが、今度はとうとう、お病院にもかからず、産婆さんにもかからず。しかも、寝とる間に、夢の中で出産のおかげを頂いたというのですからね。いわゆる、現代医学を、やはり超えたものだと思います。娘の子が安産のおかげを頂いた。名前を、真佐世と頂いた。真のいわば合楽理念に基づく世界。ね。真、さは、佐田さんの佐ですよね、合楽、合楽の意味です。人偏に左という。よは、世界の世です。

 本当に、南米の地に真佐世の世界。ね、真に合楽世界顕現のおかげを頂きたい。また、この真佐世、私は毎日御祈念をさせてもらう時、子供、あちらの子供達の事を一人ひとり願うんですけれども。この、真佐世という名前を呼ぶ時に、もう、それは、ね、和賀心時代を世界に、合楽理念に基づく生き方を、〇〇は合楽理念を持ってする他はないという、世界顕現の事を連想致します。真佐世の世界です。ね

 まあ、現代の、まっ、医学から言うたら、まっ、(とっぴんも?)聞こえるかも知れませんこの85節でございますけれども。だんだん、そういう信心が、そうだと確信出けれるおかげを頂く事の為に、私どもは何と言うても、我が身は神徳の中に生かされてあるんだ。その、御神徳に預からなければ、寄らなければ人間は立ち行かないのだという思い込みが出けなきゃいけません。

 我が身は神徳の中に生かされてあるんだと。為には、私どもが、いよいよ我情我欲を離れて、真の道を知るという精進。私は、今日御祈念中に、もうその事をしきりに思いました。何が一番、教祖の神様の御信心で、その御教えで素晴らしいか、いや、教祖ご自身が実験なされ、体験なさった事だというのはこれです。我情を取り、我欲を取る事によって、我が身は神徳の中に生かされてあるという実感。同時に、それに伴うところのおかげが頂けるんだと教えておられること。

 これは、教祖の御信心を通し、御体験を通して、私は生まれた御教えだと思います。どうでも、だから、我情を取り、我欲を取らせて頂く精進に。ね。アアあったら、さぞ良かろうというのは我情です。アアありたい、こうありたいと思うのも我情です。ね。いわゆる、そのアアありたい、こうありたいという、言うならば情を捨てて、いわゆる、神様が下さるおかげの世界。それを、御神徳の中にあるという。

 理屈では、御神徳の中に生かされておるという事はすぐ分かるんですけれども、はあ、なるほど御神徳の世界だなと実感出けるのは。ね。そういう、我情我欲を離れて、初めて分からせて頂く尊い体験であります。ね、だから、お取次ぎを頂いて、お願いをして、神様にお任せする、親先生の言われる通りの、を実験実証するという事は、もうこれは、我情を取った姿ですね。親先生に任せた姿ですから。

 自分の思いというものは、右になろうが、左になろうが、もう貴方任せというのですから。ね。今度の二月号の新聞に、のミニ御理解のところにね、船はホ任せ、風任せ。ね。神様任せは親先生任せと言うておるけれども、いよいよ、少し風が吹いて来ると、すぐそのホを畳んでしまう。その風こそ、(すまんぷう?)をここにはらんで、そして目的、いや、願い以上の所へ、言うならば速度も速く。ね。思い以上のおかげのところへ、で、思い以上の港に着かせて頂くのだけれどもという意味の御理解が出てますね。

 だから、任せると言うても、いよいよ、さあ、どうなるだろうかと思うような事もあるけれども、その時もやはり、我情を捨てなきゃいけないのだ、思いをそこに、言うならままよという心、信心の度胸がいると言われるのは、そういう事なんです。ね。風が少し吹いて来ると、もう、すぐ慌てて、ホを下ろしてしまう、といったような事では出けん。そこに信心のけいこ。体験に体験を積んでの、言うならば度胸。ね。

 その、君子先生の、言うならば、お産なんかは、そこんところを次々と安産のおかげを頂いて。本当に神様のおかげを頂かなければ出ける事ではない実感をね、次々と頂いて、四人目ですか、の子供の時には、そういう離れ業的なおかげの頂けれる、それこそ超がつくようなおかげを頂いて、初めて、この御教えの味わいというか、その深さというか。超科学というか、超医学という世界に住むことが出けるのです。

 昨日は、福岡の古屋さんから、毎日電話がかかって参りますが。お参りが出けられませんから、もう、それこそ合楽理念に基づく一日を一生懸命修行して、まあ、(       )けれども、合楽理念を、まっ、実験実証して行かれておる訳です。大変、心安い方で、結婚されて14年、子宝に恵まれない。で、それを聞いて、とにかく合楽にお願いをなさいと言うて、合楽教会に1~2ヶ月も前だったと思いますけども、電話でお届けがあっておった。

 昨日は泣きながら電話がかかって来た。ね、懐妊のおかげを頂いた、14年ぶり。まあ、福岡の川上さんの12年ぶりの、まっ、言うならばそれを破ったような感じですね。14年ぶりに懐妊のおかげを頂いたと。まさしく神様おおかげを頂かなければ出ける事ではないというお届けでございます。ね。どんなに産婦人科の先生が頑張ったところで、どんな、言うなら医学の(すえ?)を集めたって、もう貴方は出けないんだという事じゃった。
 これも昨日、ちょうど竹内先生が東京へ出張しておられて、皆お迎えに出られた方達が、ここへ着かれて私の部屋へ挨拶に見えておる時に、伊万里からお参りがあったと言うて、5~6人でお参りをして参りました。川久保さんのお導きで、毎日竹内先生の所に朝参りをしておる連中です。この人は、生まれつき目が薄いんです。見えない事はないけど、だからもう、自動車の免許なんかは、もう全然だから取れないと言う。

 それが、朝参りをしてる内に、だんだんハッキリ見えるようになったんです。もう、驚いてしもうて医者に行かれたら、こんなら自動車の運転の免許も取らるるばいというところまで見えるようになった。昨日は本人がお礼に出て参りました。ね。というような、私はおかげは、んなら、現代で、医学とか科学とかという、そのすえ?を集めても出ける事ではないのです。もう、貴方のは、生まれつきだから出けんとなっておったのをです。ね、そういう、言うならば、合楽では、まっ、奇跡と思われるようなおかげを見たり、または頂いたり、感じたりする訳ですえけれども。

 今日の御教えなんかの場合なんかでもね、そういう世界に住み、それを信ずるという事は、もう結局、我情我欲をいよいよ外して行き、我が身は神道の中に生かされてある。ね。という、言うならば実感の、言うなら御神徳の中に生かされてある世界に住まわせて頂いて、初めて分かる御教えだと。だから、大変に難しい、言うならば御理解だと思います。私どもは、その道中においてですね、途中において、まあ、医学だ、科学だと申しますから。

 ね、それも、やはり御の字をつけて、まあ、言うならば薬は毒だ。けれども、変じて薬になりますようにというような願い、祈れ薬れにすればおかげがあると仰るのだから、祈れ薬れの生き方を、まあ、私どもは日々頂いておる訳ですけれども。そのもう一つ向こうには、ね、それこそ祈れ祈れだけでおかげの頂けれる世界があるんだという事を、色んなおかげ体験から分からせてもらい。ね、こういうとっぴんもないような、今、現代の人から聞いたらです。ね、御教えのようですけれども、これは超のつく、私は御理解だと思います。どうぞ。